HIROSHIMA 1958
本, 港 千尋
HIROSHIMA 1958 は 港 千尋 によって作成されました 各コピー3850で販売されました. Le livre publié par インスクリプト (2008/11/1). Il contient 109ページ pages et classé dans le genre genre. Ce livre a une bonne réponse du lecteur, il a la cote 4.3 des lecteurs 4. Inscrivez-vous maintenant pour accéder à des milliers de livres disponibles pour téléchargement gratuit. L'inscription était gratuite.
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ファイルサイズ : 28.03 MB
HIROSHIMA 1958ダウンロード - 内容(「BOOK」データベースより) アラン・レネ/マルグリット・デュラスの名作『ヒロシマ・モナムール』(邦題『二十四時間の情事』)。その主演女優エマニュエル・リヴァがロケ中に撮った写真がパリで発見された。1958年の広島。真新しい市民球場と太田川河畔の風景、無心に遊ぶ子供たち、密集するバラック、商店街の活気溢れる様子…。当時の広島をとらえた貴重な写真に加え、映画製作をめぐるレネからデュラスへの手紙、リヴァへのインタビュー、港千尋のエッセイ他、貴重な資料図版50余枚を収録。広島を舞台に、日本とフランスの視線が交錯する、歴史的にも映画史的にも価値の高い写真集。日仏同時刊行。 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) 港/千尋 写真家、批評家、映像人類学者。1960年生。多摩美術大学情報デザイン学科教授。2007年にヴェネツィア・ビエンナーレ日本館コミッショナーを務め、岡部昌生の作品を紹介。著書に『記憶』(講談社、1996、サントリー学芸賞)ほか多数。写真家として、日本および欧米各地で展覧会を開催 ナヴァセル,マリー=クリスティーヌ・ドゥ 元・東京日仏学院院長(1996~2001年)。フランス外務省で映画担当官を務めたのち、来日。日本での任期中、ロベール・ブレッソン全作品上映特集(東京国際映画祭、1999年)を手掛けたほか、日本では知られることの少ない映画作品・映画作家の上映企画などに携わる。「東京の夏」音楽祭では“音楽と映画”プログラム(2000年)、“音楽と文学”プログラム(02年)に参加。ポンピドゥーセンターでの映画祭「シネマ・デュ・レエル」では、大島渚や今村昌平をフランスに紹介している(現在、名誉会員) リヴァ,エマニュエル 女優。1927年生。舞台女優として活躍していたが、『ヒロシマ・モナムール』で映画初主演を飾る。続けて『ゼロ地帯』(ジッロ・ポンテコルヴォ監督、1960)、『モラン神父』(ジャン=ピエール・メルヴィル監督、1961)、『テレーズ・デスケルウ』(ジョルジュ・フランジュ監督、1962、ヴェネツィア国際映画祭女優賞)、『山師トマ』(同監督、1965)などの映画に出演。1969年、蔵原惟繕監督による石原プロ製作『栄光への5000キロ』に助演、話題を呼ぶ。現在も活動を続けている 関口/涼子 詩人、翻訳者。フランス語と日本語で詩作を行う(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)HIROSHIMA 1958を読んだ後、読者のコメントの下に見つけるでしょう。 参考までにご検討ください。
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HIROSHIMA 1958ダウンロード - 内容(「BOOK」データベースより) アラン・レネ/マルグリット・デュラスの名作『ヒロシマ・モナムール』(邦題『二十四時間の情事』)。その主演女優エマニュエル・リヴァがロケ中に撮った写真がパリで発見された。1958年の広島。真新しい市民球場と太田川河畔の風景、無心に遊ぶ子供たち、密集するバラック、商店街の活気溢れる様子…。当時の広島をとらえた貴重な写真に加え、映画製作をめぐるレネからデュラスへの手紙、リヴァへのインタビュー、港千尋のエッセイ他、貴重な資料図版50余枚を収録。広島を舞台に、日本とフランスの視線が交錯する、歴史的にも映画史的にも価値の高い写真集。日仏同時刊行。 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) 港/千尋 写真家、批評家、映像人類学者。1960年生。多摩美術大学情報デザイン学科教授。2007年にヴェネツィア・ビエンナーレ日本館コミッショナーを務め、岡部昌生の作品を紹介。著書に『記憶』(講談社、1996、サントリー学芸賞)ほか多数。写真家として、日本および欧米各地で展覧会を開催 ナヴァセル,マリー=クリスティーヌ・ドゥ 元・東京日仏学院院長(1996~2001年)。フランス外務省で映画担当官を務めたのち、来日。日本での任期中、ロベール・ブレッソン全作品上映特集(東京国際映画祭、1999年)を手掛けたほか、日本では知られることの少ない映画作品・映画作家の上映企画などに携わる。「東京の夏」音楽祭では“音楽と映画”プログラム(2000年)、“音楽と文学”プログラム(02年)に参加。ポンピドゥーセンターでの映画祭「シネマ・デュ・レエル」では、大島渚や今村昌平をフランスに紹介している(現在、名誉会員) リヴァ,エマニュエル 女優。1927年生。舞台女優として活躍していたが、『ヒロシマ・モナムール』で映画初主演を飾る。続けて『ゼロ地帯』(ジッロ・ポンテコルヴォ監督、1960)、『モラン神父』(ジャン=ピエール・メルヴィル監督、1961)、『テレーズ・デスケルウ』(ジョルジュ・フランジュ監督、1962、ヴェネツィア国際映画祭女優賞)、『山師トマ』(同監督、1965)などの映画に出演。1969年、蔵原惟繕監督による石原プロ製作『栄光への5000キロ』に助演、話題を呼ぶ。現在も活動を続けている 関口/涼子 詩人、翻訳者。フランス語と日本語で詩作を行う(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)HIROSHIMA 1958を読んだ後、読者のコメントの下に見つけるでしょう。 参考までにご検討ください。
映画『二十四時間の情事』鑑賞後、この写真集の存在を知り衝動買いしてしまった。率直な感想を言えば素晴らしいのだ。しかも専門家が撮ったのではない。全くの素人で、偶然広島に居合わせたフランス女優によるものだとは到底信じられない。その女優はエマニュエル・リヴァで広島のロケ現場に来ており、撮影合間に小まめに足を運びながら撮った写真は1958年の広島を見事に捉えている。表通りだけではない。路地裏や下町の隅々まで入り込み、逞しく生きる人々や生活感溢れる自然な姿からは確実に撮影当時の空気が伝わり、復興への息吹きが感じられる。庶民の暮らしは決して豊かではなく、そこかしこに戦禍の傷跡が存在したはずだが、未来へと向かう希望の光を見い出し、皆その思いを共有しているようで、その表情は明るい。特に子供の写真は屈託がない笑顔で全く緊張や構えた様子が無い。初めて目にした外人女性で(しかも聡明な美人)物珍しさからか自然に彼女に引き寄せられ、純真な心と彼女の感性が共鳴して撮れた写真だろう。映画のエピソードも興味深い。リヴァさんは共演者の岡田英次氏を気に入ったようで“いい男”だと認めており、とりわけ彼の声がとてもきれいで、フランス語を話す彼が特に美しいとの事。監督も当初は吹替えを考えていたようだが、彼の声を残すようにした。また映画の後半で彼女が夜の繁華街を彷徨う場面は行き交う人が殆どいない。当時は本当に人が居なかったか、あるいは寝静まった深夜に撮影したとばかり思い込んでいたが、実際は多くの人が取り囲んでいる撮影前の写真があった。他にもカフェ“どーむ”から見た夜景が、実はセットだったという信じられない事実がある(証拠写真もある)。モノクロ画面で粗が見えない。私は広島には行ったことは無いが、定年後に自由な時間を活用できるなら、この本を携えて当時のロケ現場や彼女が撮影した跡地を辿ってみたい気がする。カフェ“どーむ”は今は存在しないが、傍らの石碑は残っている。
によって 港 千尋
5つ星のうち (4 人の読者)
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